燃料電池用途の水素品質管理では、水素純度の評価に加え、燃料電池の性能や耐久性に影響を及ぼす微量不純物を成分ごとに定量することが求められます。対象となる不純物は多岐にわたり、成分によっては極めて低い濃度レベルでの分析が必要です。
燃料電池車(FCEV)向け水素の品質については、国際規格ISO 14687 Grade Dでさまざまな不純物の許容濃度が規定されています。そして、微量な不純物を正確に測定するためには、分析装置だけでなく、その測定値の基準となる「標準ガス」の信頼性も欠かせません。
2026年に学術誌 Analytical Chemistry に発表された研究では、ISO 14687 Grade Dに基づく水素品質分析を想定し、複数の不純物を含む「多成分標準ガス」の長期安定性が検証されました。
なぜ水素品質分析に「多成分標準ガス」が必要なのか
水素品質分析では、酸素(O2)、窒素(N2)、一酸化炭素(CO)、二酸化炭素(CO2)、アンモニア(NH3)、硫黄化合物、炭化水素など、性質や濃度域の異なる多数の不純物を対象とします。これらを正確に定量するためには、濃度が明らかな標準ガスを用いて分析結果の信頼性を確認する必要があります。
しかし、多数の対象成分についてそれぞれ個別に標準ガスを準備すると、ガスボンベの保管スペースやコスト、使用期限、交換作業など、日常的な品質管理の負担が大きくなります。
そこで注目されるのが、複数の対象成分を1本のボンベにまとめた多成分標準ガスです。一方、多成分標準ガスを実際の品質管理に用いるには、各成分の長期安定性を確認することが重要です。
ISO 14687 Grade Dの対象成分を6か月以上追跡
今回の研究では、市販の多成分標準ガスを用い、ISO 14687 Grade Dに関連する不純物の濃度変化を6か月以上にわたって評価しました。分析にはFTIR(フーリエ変換赤外分光法)と、IMR-MS(イオン分子反応質量分析)/EI-MS(電子衝撃質量分析)が使用されています。
その結果、ヘリウム、アルゴン、メタン、プロパン、二酸化炭素、一酸化炭素、硫化カルボニル、ハロゲン化合物などでは、6か月を超える期間にわたり安定性が確認されました。
一方、すべての成分が同じ挙動を示したわけではありません。アンモニアは、混合ガス調製後に濃度が安定するまで約60日を要しました。また、酸素は一貫しない挙動を示し、ホルムアルデヒドとギ酸については信号が消失しました。
多成分標準ガスの活用には大きなメリットが期待できる一方、対象成分の化学的性質や長期安定性を理解したうえで使用する必要があることを示す結果です。
水素中の多成分・多濃度域を捉える分析技術
今回の研究では、酸素、ヘリウム、窒素、アルゴン、プロパン、メタン、硫化カルボニル、二酸化炭素、アンモニアに加え、トリクロロエチレン、1,2-ジクロロエタンの分析に、V&F社のCombiSense(現名称:ComboSense)が使用されました。EI-MSとIMR-MSという2つの質量分析技術を一つのシステムに組み合わせた装置です。
EI-MSは水素、ヘリウム、窒素などを含む比較的高濃度のガス成分の測定に対応し、IMR-MSは微量の有機・無機ガス成分を選択的に測定できます。異なるイオン化方式を組み合わせることで、主要成分からppm・ppbレベルの微量成分まで、幅広い濃度域を一つのシステムでカバーできる点がComboSenseの特長です。
多成分をリアルタイムで捉えるメリット
今回のような長期安定性試験では、「ある時点で規定濃度になっているか」だけでなく、各成分が時間とともにどのような挙動を示すかを把握することが重要です。
例えば今回の研究で確認されたアンモニアのように、混合直後と十分な時間が経過した後では濃度の挙動が異なるケースがあります。このような変化を評価するうえで、多成分を高速かつ連続的に測定できるリアルタイム分析にはメリットがあります。
これは標準ガスの評価だけに限りません。水素の製造・精製工程で不純物がどのように変化するのか、設備や材料からどのようなガスが発生するのか、あるいは運転条件を変更した際にガス組成がどう応答するのか――こうした時間変化を伴う現象の評価にも、リアルタイムの多成分ガス分析は有効です。
参考文献
Multicomponent Gas Standards for Hydrogen Purity Analysis According to ISO 14687 Grade D
V. Reiter, L. A. Brandner, S. Scheikl, M. Tintori, T. Stöhr, S. Brandstätter, A. Trattner
Analytical Chemistry 2026, 98(10), 7403–7412
DOI: 10.1021/acs.analchem.5c06763
